山と温泉で遊んでいる人のブログ
Hiking台高山系(歩き)

トガサワラ原始林から馬ノ鞍峰/台高山系

12年ぶりに馬ノ鞍峰に登ってきた。
前回は台高縦走のときだったので今回は初めてのルート。

今年行きたいルートの一つについ先日(!)あげていた。
深山幽谷を存分に堪能できるルートでかなり満足度が高かった。

壮大な明神滝

<行程>
三之公川林道終点 5:40→トガサワラ原始林登山口 6:35→993mピーク( 村立山 ) 8:40→1074mピーク 9:30→登山道分岐 10:20→馬ノ鞍峰1177m 10:55→登山道分岐 11:35→かくし平(尊義親王御墓) 12:00→明神滝 12:45→林道終点 13:20 (7時間40分)

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夜中に林道周辺に乗り付けた。仕事で疲れたまま出てきたうえ,真夜中の林道は久しぶりなので緊張感が半端なかった。体に悪い。車中泊して5時半に起床。こそこそと出発した。

林道を戻る(小屋は管理小屋とトイレ)

トガサワラと栂の違いは曖昧だけど,トガサワラってPseudotsuga japonicaというからにはやはり両者はよく似ているのだろう。

トガサワラの苗木らしきものが横に植えてあった

ようやく登山口に到着。一体は水が滴っており実に気持ちの悪い出だしになった。眠気と疲れのとれない体でこの汚い急勾配を沢の高巻きの如く登るのは楽では無かった。心拍数が尋常で無い。

この右端から登る(実に湿っぽい)
朽ちつつある標識
尾根に出ると標識があった
この登りが疲労した体に応える・・・
右手に沢が出てきた

ようやく真っ当な稜線に出て傾斜も落ち着いた。植生が変わって非常に快適に歩けるようになった。

稜線からの眺め良し
稜線からは植生ががらりと変わる
村立山山頂にて
実に楽しい台高尾根歩き

東へ大きく方向を変える箇所で,地図も見ずに楽しようと思ってピークを踏まずトラバースすると西側の緩やかな尾根に誘い込まれる。ぱっと見た感じ,東(この場合は右手)に尾根が見えなかったが,なんかおかしいと感じて地図を見ると解決した。

東へ折れ曲がって急激な下り
下りきると楽しい尾根歩き

登山道はテープが遠慮気味に巻かれており不快感は無い。発達した木の根がむき出して苦労する。木々が覆い被さって中腰になる場所が多く,距離の割に消耗した。

稜線の巨木
狭い稜線で絶妙なバランスを保っている巨木群
ハイライトの狭い稜線
かくし平からの登山道に合流(通せん坊あり)
奥が今歩いてきた縦走路

しばし休んで馬ノ鞍峰へ向かった。テープは明瞭だがそこまで多くなく,油断すると進路を迷うので地図は必携と思われる。踏み跡は明瞭だが,等高線の広い箇所や方角を変えるところは要注意かな。

山深く静かな縦走路
山頂にはお一方だけいらっしゃった
「三等三角點」

三角点の詳細を「基準点成果等閲覧サービス」で見られる便利な時代。調べると結構面白いので次行く山の選定にも使えそう。

https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html

Cited from
https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html

山頂を20分くらいであとにし分岐まで戻ってきた。そこからかくし平まで下るのだが,思っていた以上に源頭部の斜面を頑張って下るルートだった。1.9Lしか持ってこなかった水分が足りなくなりそうで,途中の沢で飲水したが美味!

急峻な斜面を降りていく
バイケイソウの中を歩く

バイケイソウを越えたら徐々に植林となった。だいぶ歩きやすくなったので,道なりに下るといわゆる「かくし平」にたどり着いた。御墓の標識が無ければ素通りしていたと思う。相当に朽ちた古い木造階段を上ると林の中に墓碑が建っていた。

沢の合流部が見えればかくし平も近い

川上村のWEBに詳しく載っている。
http://www.vill.kawakami.nara.jp/life/docs/2017012900165/

墓標横の石碑には,「尊義王の墓(万寿院宮)南朝系第99代後亀山天皇の孫にあたり,二人の皇子を伴ない,この地に御所をかまえ自ら南帝(中興天皇)として即位。南朝再興を画策したが望みがかなわず,1455年45才で病に倒れられた」とある。

尊義王の墓所

そこからまもなく行くと行宮址石碑も建っていた。行宮址石碑の案内板には,「文政五年(1448),尊義王(小倉宮皇子)は,神璽を奉つって自天王と忠義王を連れ,都から三之公へ潜居された。尊義王は,川上郷民の助けを借りて,吉野朝復興を画策したが病で倒れられた。尊義王が北朝方を避け,八幡平から移り住んだ御所の跡である。」とある。

尊義王行宮跡

さっぱり時代背景がわからず (この時代というか1800年以前の日本史はさほど興味ないので中学校以来だよ) ,それなりに正しいことが書いてあるWikiを拝見しまとめてみた。

一般的な流れとして・・・

 明徳の和約(1392年)で南北朝統一したけど,その後も南朝を復興したいと思っていた旧南朝グループ(いわゆる後南朝)が山深い三之公(今回の石碑の場所)或いは吉野のどこかに御所を置いて潜伏活動していた。そこには第99代天皇かつ南朝最後の第4代天皇の後亀山天王の孫である小倉宮聖承(1443年5月死去),護聖院宮家の金蔵主(=尊義王?)・通蔵主兄弟,後半組には金蔵主の息子ら尊秀王(=時天王/源尊秀?)と忠義王もいた。

 1443年10月,禁闕の変(きんけつのへん)で,後南朝の日野有光や金蔵主,通蔵主らが内裏に乱入し,神璽・神剣を奪取して比叡山に立て籠ったが直にに鎮圧。金蔵主・日野有光・通蔵主は殺された。でも三種の神器のうち勾玉の神璽だけが誰かによって後南朝に持ち去られたままだったのでなんとしても朝廷は奪還したい,ということになった。

 長禄の変(1457年12月)で朝廷の駒が後南朝を襲撃し,自天王(尊秀王)とその弟忠義王が倒され神璽の勾玉を奪還された。神璽を持っていた丹生谷兄弟は吉野の民により伯母谷で殺害されて再び後南朝に奪われたが,1458年に朝廷側に再度奪還されて終結した。

って感じかな。

登場人物が多い上に別名があり,更にその名や出自がどこまで正しいのか不明とあっては割り切りが必要。石碑を見てWikiを見たりすると,いろんな矛盾点が生じて深く考えば考えるほど混乱し精神崩壊するね。Vice versa。

この古い登山道,結構荒れている

かくし平からの登山道はおよそ一般道とは言えないほど荒れている。修復されて新しい木製梯子がかかっていたりするが,崩壊場所が多くて追いついていない感じで踏み跡は明瞭だが結構疲れた。林道・登山道があっても大変なアプローチなのに,後南朝はよくこんな山奥に逃げ込んだな。

明神滝は登山道から少し下ればOK。分岐には標識も有り。これは素晴らしい滝だった。沢登りだと巻くときに道があるから簡単だね。

明神滝,一見の価値あり
滝以降は比較的道が安定した
ようやく降りてきた
珍しく結構立派な林道終点
三之公川上流は鋭意保全中とのこと

三之公川上流(明神谷に分かれる二俣上流)は沢登りもしない方が賢明だろう。山ノ神の頭や父ヶ谷の高へ詰めるルートも考えていたけど仕方ないね。

登山道入り口(他に山の神の祠もある)

行動時間7時間少し。初めはどうなるかと思ったけど,無事に歩き通せた。仕事終わってから移動ってのは辛かった。その分早く帰れるのはうれしいけど。

三之公川から吉野川となる

山鳩湯の下にある釣り堀に僅かばかり人が居た。見渡す限りの雄大な自然の中で遊べる環境はかなり贅沢だけど釣れるのか?山鳩湯は外から見る限り車だらけで超混雑っぽかった。以前宿泊したとき,部屋は古いが飯も温泉も最高だったので是非とも人の少ない時にゆっくり楽しむのがオススメ。

例の釣り堀

ということで今週も中庄温泉へ。リオフォームされ更に快適になのでオススメ度が急上昇中である。時間帯もgoodで空いていた。食堂で飯にした。脱水か筋緊張性か,頭痛に襲われボルタレンを飲んで1時間ほど独り寝ていた。お薬は私のお守り,切れると不安で堪らないよ。

炭水化物オンパレード!Yummy!!
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